死にたい人の隣にいる人へ思いを馳せて。
やぁ。
死にたい人ではなく、
死にたい人の隣にいる人へ思いを馳せて。
寄り添おうとして、うまくいかなくて、苦しんでる人へ。
「死にたい」の4文字に圧縮された、数百ページにも及ぶ大辞典にさえ収まりきれない曖昧で混沌とした感情を人が汲み取ることを、善意とか心配とか愛情なんて空疎な言葉で、片付けちゃいけないと思うんだ。
「4文字に略されてもわからない。
ちゃんと言葉にしないと伝わらない。」
って意見ももちろん正解で、正論で。
でも、死が救済に思えるほど生きることに絶望しているのなら、言葉の整理なんてできないと思う。
整理どころか、言葉そのものすら出てこないと思う。
やっと吐き出せる言葉が「死にたい」って4文字で、それで精一杯。
死にたい理由は人それぞれあるし、それらを聞き手が全部理解するなんて不可能だよ。
4文字に全てを詰め込むから、その人の性格や環境、価値観とかを理解してないと、その4文字の背景を見るのも難しい。
Twitter見てると、直接的にも関節的にも、「死にたい」って呟いてるアカウントって探せばいくらでも出てくる。それに対するリプライの悪い例を2つ挙げてみた。
一つは、何に苦しんでいるのか、何に傷付いているのか、何を背負い、何で縛られているのかを知らない人の
「とにかく(とりあえず)私はあなたに生きていて欲しい」
系のリプライ。
生きることは楽しいこと、幸せなことってステレオタイプから抜け出せない人達の言葉。
「死んだら何もかも無くなる」の言葉も
「生きていればどうにかなる」の言葉も
希死念慮の前では風の前の塵と同じなのに。
もう一つは、「生きていて欲しい」って言葉があまり意味を為さないことを知っているが故の無関心からくる「そんなに死にたいなら死ねば」系のリプライ。
確かにその4文字だけを理解するだけなら「じゃあ死ねば?」で終わる。
「どうぞご自由に」で終わる。
ただ、その発言を伝えるのはあまりにも優しくない。
そう思うのもわかるけど、その「どうぞ」って言葉は結構鋭くて。
弱っている心はほんの少しの刺激ですぐに崩れてしまう。「今私は死にたいくらい苦しいよ」って自己顕示に対して、無関心な言葉は心を深く抉ってしまう。
僕は両方の思考を持っていた人。
かつて僕の隣にも、死にたい人がいた。
その人に対して、最初は前者の「死なないで」主張で寄り添おうとした。
愛情不足が原因だと勝手に決め付けて、愛を与える存在になることで原因を解消し、希死念慮を薄めようと企てた。
でもダメだった。
「生きていて欲しい」って言葉は、当人にとって、他人のわがままでしかなかったから。
僕はここで諦めた。
それまで思考して、葛藤して、勉強してきた時間が無駄になったと思った。
そこから後者の「どうぞご自由に」の思考になった。
伝えなかったけど、死にたいと聞こえる度に「どうぞ」と思っていた。
今その人は隣にいない。多分どっかで生きてるだろうけど。
寄り添うって難しいね。
本気で数年寄り添おうと努力しても寄り添えなかったもん。まぁ僕の意思とか覚悟が弱かっただけかもしれないけど。
でも精神科もカウンセラーも自殺防止なんたらセンターみたいなとこも、そんでSNS上の「死にたい人が第三者にいる立場の人達」も、みんな「寄り添いが大事」って言うよね。
「相手のことをちゃんと理解してれば」
とか。
「深い愛情を持って、否定しないで」
とか。
「相手の立場に身を置いて」
とか。
よくそんな簡単に言うよなって思ってしまったんだ。
理解があれば、愛があれば、仲間がいれば、希望があれば…。
そんな簡単な話じゃないよ。すっごく難しいよ。
相手のことを100%理解はできないし、そもそもこっちも人間だから、何もかも完璧な対応なんてできない。
なのに、些細な言葉が地雷になるよ、なんて脅されたりして。
僕は離れたけど、色んな理由で離れられない人もいると思う。
最初は穏やかに優しく接することができても、続いていくうちに全てがストレスになる。
最悪、ミイラ取りがミイラになる。
寄り添うって本当に難しい。
ましてや死にたい人に寄り添うのって、失敗が許されない。
だから、死にたい人に寄り添う人を、
「優しい」とか「愛がある」とか「善人」とか、
「心が広い」とか「我慢強い」とか「偉い」とか
そんな簡単な言葉で終わらせないで欲しい。
彼らは、彼女らは、悩み続けながら、死なせないために必死で頑張ってる。
少なくとも僕は。今頑張っている人達の努力や苦労を全て理解できるわけじゃないけど、ちょっとだけなら理解できるから。
すごく難しくて、時には自分が死にたくなるくらい大変だってことを知ってるから。
だからなんだって話なんだけどね。
だから頑張れってことでもないし、
だからもう頑張らなくていいよってことでもない。
けど頑張ってるのは知ってるよ。
「優しいね」とか「頑張ってるね」とかの言葉に込められている以上の頑張りは、知ってるよ。
それだけです。
ではまた。